(エッセイ)文明発祥の地ー「地中海」

弁護士法人サイオン総合法律事務所

                                               所長弁護士 當 真    良 明

1 はじめに

 今から20年程前の2004年(平成16年)に,調査のために初めて,ヨーロッパに行きました。ヨーロッパ旅行から帰って間もなく,書いたエッセイがありますので,そのまま,ご紹介したいと思います。その後は,ヨーロッパに行く機会がありませんでした。できればあと数年内に再訪できればと密かに希望しております。

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2 ロシア(シベリア)の大地

 まず,印象深かったのが欧州への途上で飛行機から見たロシア(シベリア)の大地です。高度約1万メートルから見るロシア(シベリア)の大地は,亀の甲羅のような印象でした。また,寒冷地のためと思われますが,木や森などの緑がほとんどなく砂漠のようでもありました。人の存在を感じさせない砂漠に雪の残ったような土地が延々と続いていました。まさに,「大陸」の風景であるとともに,寒冷地ロシア(シベリア)の自然の厳しさを感じさせるものでありました。

3 オランダの水田

 それは,まぎれもなく稲を植えた水田に見えました。

 成田から10時間余,上空から見たオランダの風景は,まさに緑の水田が広がっているように見えました。整然と四角に区画された土地,あぜ道があり,水路には満々と水がたたえら,青々と稲のようなものが育っています。

 しかし,オランダで稲作が行われているということは聞いたことがない。こんなに広く稲作が行われていたなら,観光ブックなどにも載るはずだが・・・。などと考えてるうちに空港に到着し,その日は水田か否か確認できませんでした。

 しかし,翌日には,その正体は判明しました。それは,「干拓地」での農地や家畜の放牧地だったのです。オランダは国土の相当部分が干拓地です。その干拓した土地が農地や家畜の放牧地として使用されていたのです。干拓地が,四画に区画され,水路が張り巡らされ,土地には牧草が植えられていたので,上空からは水田のように見えたのでした(ちなみに,各区画には牛や羊が放牧されていましたが,水路があるため囲いの柵は不要でした)。

 オランダは,酪農と干拓地で有名ですが,この2つは結びついていたのです。

(写真は本文とは関係ありません。)

4 「地中海」ー文明発祥の地

 旅行の5日目,6日目はマルセイユ,ニース等の南フランスの視察がありました。バスで南フランスの地中海沿岸を揺られていると,現地ガイドさんが,マルセイユから対岸のアフリカまでの距離は約400㎞であり,アフリカからの移民,入国者も多く,またアフリカ各地への飛行機の定期便が毎日就航しているとの説明がありました。

 アフリカまで400㎞。なんと近いことか。

 東京から大阪までの距離も400㎞程度はあるのではないか(ちなみに,沖縄本島から私の故郷の石垣島まででさえ450㎞あります)などと思うと,地中海は海ではなく「大きな湖」であり,1つの生活圏域であると思えました(地中海で一番狭いジブラルタル海峡は,わずか14㎞ほどであり,肉眼でも対岸を確認できるということでした)。そのことはまた,地中海沿岸で古代からいくつもの人類文明の興亡が行われてきたことが実感として納得できました。地中海沿岸では,人類最初の文明として,約紀元前3000年前にエジプト文明とメソポタミア文明が興り,その後地中海の諸島を中心にエーゲ文明,前1000年ころからはギリシャ文明,前500年ころからはローマ文明が興り,以後連綿と現代まで影響を与えています。

 地中海は海ではなく「大きな湖」であり,1つの生活圏域であることが実感でき,地中海沿岸でこのような多数の文明が次々と興った理由が納得できました。

5 花の都パリ

(写真は本文とは関係ありません。)

 最後に,今回の旅行の訪問地のうち,再び行ってみたい都市はパリです。

 ニューヨークや東京,ロンドンなども大都会であるが,パリは頭抜けて魅力的な都市であると思いました。  

 とくに,その数百年前に計画され建築された街並みは,まさに街自体が芸術品であり,フランスの華やかしころの富みと権力の大きさ,そして文化的,科学的能力の高さを感じさせます。パリが現在も文化や芸術の発信地であり続けていることが納得できるのです。

 今度は,滞在型の旅行でパリを訪ねたいと願っています。

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